勤労感謝の日の趣旨や意味と歴史や由来は?祝日法で出来た理由は?

毎年の11月23日は、勤労感謝の日になります。

この日は、ハッピーマンデー制度が出来ました平成12年(2000年)以降でも日が変わる事がありません。

勤労感謝の日は祝日になり休みになりますので、勤労だけの意味で考えますとハッピーマンデー制度で11月の第3か第4月曜日を祝日に変更してもよいように思えます。

しかし、ハッピーマンデー制度が適用できない意味があるようです。

少し気になりました勤労感謝の日について考えていきます。

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勤労感謝の日の趣旨や意味は?


日本国憲法に祝日法がありますが、
その中に勤労感謝の日は祝日にすると決められています。

祝日法による勤労感謝の日の趣旨は、
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。」
とされています。

意味がわかるようなわからないような言葉に
なっていますが、勤労の文字が入っていますので、
やはり、勤労感謝の日らしいと思われれます。

勤労は、勤務する事や労働する事とわかりましても、
「たつとび」になりますと、何?っとなりませんか。

たつとびを調べますと、
重んじるや尊敬するなどの意味があります。

後の、「生産を祝い」や「国民たがいに感謝しあう」
などは、ある程度の理解が出来そうです。

簡単に解釈しますと、
「働いている人に対して、尊敬などをして、
生み出される物を祝って、
国民みんなで感謝をしあいましょう。」

になる感じですね。

解釈の仕方は、あなたも含めて
その人によって違ってきますので、
極端な解釈ですが、
「働くことは重要でみんなで感謝しましょう。」
とも言えます。

趣旨は、難しい言葉を使っていますので、
解釈するにも、いろんな人の意見などがあります。

ハッキリとした決まりなどはありませんし、
あくまでも、趣旨になりますので、
あなたなりの解釈でよいと思います。

しかし、作られたのが昭和23年(1948年)に
なりますので、もう少し現代風に
変えてもよいように思うのは私だけでしょうか。

勤労感謝の日の歴史や由来は?


勤労感謝の日は、現在の日本国憲法にある
祝日法によって出来たことは先程言いました。

しかし、その前から違う名前で、
祝う行事としてありました。

それは、
「新嘗祭(にいなめさい)」になります。

新嘗祭って何?と思うかもしれませんが、
日本は、昔から農耕民族でしたので、
出来た農作物などに感謝して祝う神事になります。

古くは、飛鳥時代の女性天皇で、
皇極天皇(こうぎょくてんのう)が、
新しい農作物が採れた恵みに感謝して
新嘗祭を行って祝う神事だったようです。

新嘗祭の言葉は、
「新」は、その年に採れた新しい穀物になり、
「嘗」は、嘗める(なめる)からきていて、
味わうなどの意味があります。

そして、明治時代の明治5年(1872年)まで、
旧暦が使われていましたので、11月で2回目の
卯の日(うのひ)に天皇が関係する行事であり
お祝いとしての神事になります。

ちなみに、卯の日って何?と思われるかも知れませんが、
干支(えと)の十二支を日付ごとに付けた時に
あたる日の事になります。

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ひと月は、およそ30日ありますので、
十二支は、12しかありませんから、
子(ねずみ)から始まり、亥(いのしし)に
いきますと、また子に戻ります。

そうなりますと、卯(うさぎ)の日は、
月に2~3回周ってくることになります。

ですので、明治5年までは、11月で2回目の
卯の日になっていましたので、
新嘗祭の日がその年によって違ってきていました。

ちなみに旧暦と新暦の変更があった日は、
明治5年の12月2日が旧暦の最後の日になりますので、
明治5年の12月3日はなく、明治6年1月1日になり、
それから新暦が使われるようになりました。

新暦に変わりますと、旧暦の11月で2回目の
卯の日は、1月になってしまいますので、
年が変わってしまうばかりか、新しい穀物が採れた
恵みに感謝してお祝いする日でなくなってしまいます。

そして、新暦においては11月で2回目の卯の日を
新嘗祭の日と決められました。

そこで、明治6年の11月で2回目の卯の日は、
11月23日でしたので、翌年からも新嘗祭の
月日を固定すると決められました。

結果的には、新しい穀物が採れた恵みに感謝して
お祝いする神事の時期としてはよかったのですが、
卯の日は、全く関係がなくなってしまいました。

たまたま明治6年の11月で2回目の卯の日が
11月23日でしたが、卯の日が違う日でしたら、
別の日が新嘗祭の日になり、
現在でも勤労感謝の日が違う日になった可能性があります。

極端な事を言いますと、祝日でしたら、
11月の何日でもよかったような気もします。

勤労感謝の日が祝日法で出来た理由は?


勤労感謝の日は、第二次世界大戦後に出来ました
日本国憲法にある祝日法によって
名前などが決められた祝日になります。

勤労感謝の日の元は、新嘗祭の日だったことは
お分かりになったと思いますが、
なぜ、新嘗祭の日として残らなかったのでしょうか。

それは、第二次世界大戦で日本が敗戦国として、
アメリカの占領下にありましたので、
明治時代に作られました大日本帝国憲法は、
国民の中で天皇は「神」に近い存在でした。

アメリカとしては、天皇が神に近い存在であることを
恐れたために、国民の感情と天皇を引き離さなければ
ならないと考えられ、天皇に関わる行事や式典などは、
廃止するように命じて、現在の憲法が作られました。

新嘗祭は、日本において、飛鳥時代から
第二次世界大戦が終戦を迎える昭和20年(1945年)
まで長く続いていた天皇が関わる神事になります。

日本人としては、とても大事な日になりますので、
祝日として残すように考えられた結果。

昭和23年(1948年)に制定された
祝日法によって、新嘗祭の日は、
名称が変わり「勤労感謝の日」になりました。

結果的には、祝日として残った事になりますが、
アメリカの政策によって天皇の力を弱めるために
されたことになりますので、
その当時の日本人としては、とても辛かったでしょう。

また、現在において新嘗祭と言ったところで、
「知らない」と答える人がほとんどではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

勤労感謝の日の元は新嘗祭の日になりますので、
ハッピーマンデー制度で日を変更することが出来ない
天皇が関わる神事をするお祝いの日でした。

もしかしますと、第二次世界大戦で
日本が負けていませんでしたら、勤労感謝の日ではなく、
新嘗祭の日としてそのまま残っていたかも知れませんね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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