世界文化遺産である姫路城の過去で室町時代から現代まで何があった?

あなたは、姫路城と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。

やはり、白いお城と思われるのでしょうか。

また、国宝・世界文化遺産のお城と思われるでしょうか。

ちなみに、姫路市の観光地として、とてもインパクトが強いお城になります。

確かに姫路城は国宝で世界遺産の一つになりますので、他のお城に比べて格段が違いますし、日本で初めてユネスコの世界遺産に登録された木造建築の最高傑作と言われています。

白いお城のイメージが強いのは、平成の大修理が行われ見る角度によっては、屋根までもが白く見えるためなのかもしれないですね。

平成の大改修工事ですが2009年(平成21年)10月9日から行われて、姫路城全体が全く見えない状態になり、2014年6月に約3年半ぶりに天守だけが見えるようになりますと「あまりにも白すぎる」「白鷺城(しらさぎじょう)ではなく白すぎ城」などと言われるぐらいに話題になりました。

そして約5年半の歳月をかけて改修工事が終了したのは2015年(平成27年)3月になります。

改修工事が終わった姫路城は2015年(平成27年)3月27日に新しく生まれ変わりオープンしました。

そのぞれの時代によって、大幅な改修・修理がなされた事や危機的な状況にあった姫路城の過去を考えていきます。

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世界文化遺産である姫路城の過去(室町時代から明治時代まで)


姫路城の始まりは室町時代にさかのぼります。

1346年に姫山(ひめやま)に
当時の武将(赤松貞範:あかまつさだのり)が
築いた小さな山城と言われています。

その後、戦国時代(1580年頃)
播磨の武将(黒田孝高:くろだよしたか)から
毛利氏が支配する中国攻めの為に
姫路城を譲り受けた織田信長の家臣である
羽柴秀吉が戦いに備え、
3層の天守などを備えた本格的な城郭を築きました。

そして、歴代の城主たちが
何度も改築・改修をかさねていき、
姫路城は外観を大きく変えていきます。

いうなれば、
今の姫路城は四代目で安土桃山時代末期の
1601年(慶長6年)に姫路城の改築を
任された池田輝政(いけだてるまさ)が
約8年の歳月をかけて建てられたものです。

この地に砦が築かれてから約600年、
築城以来、約400年を超える歴史を
持っているお城になります。

江戸時代においては、
城主が池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏と
次々と変わっていき、
中でも一番長く城主を務めた年数は約120年になり、
江戸時代後期から明治時代まで
城主を務めた酒井氏になります。

世界文化遺産である姫路城の過去(明治時代から昭和時代まで)


明治時代になりますと、それまでとは異なり、
大名の軍事要塞であるお城は不必要な物と考えられていき、
全国のお城は明治政府によって、
その存続を検討されて陸軍が施設として使えると
認めた43のお城以外は全て取り壊されました。

姫路城は何とか存続となりましたが、
老朽化が進んでいて修理費が莫大に
かかることなどで、競売にかけられました。

そして、競売の結果、姫路市の一個人が
姫路城を落札することになります。

その価格がなんと!
23円50銭で、現在の貨幣価値に換算しますと
約10万円になります。

約10万円で姫路城が買えたなんて、
今の時代ではとても考えられないことですよね。

しかし、落札したものの城の備品などは、
一般の家庭では特に、瓦に関しては
大きすぎて再利用することもできず、
結局、姫路城の権利を放棄してしまいました。

確かにお城にある鯱(しゃちほこ)などは、
個人の屋根には取り付けられませんし、
昔は、戦争に使用する目的で建てられましたので、
あらゆる物に対しても規模的に大きかったと思われます。

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その後、明治7年に姫路城の敷地に
陸軍が設置されることが決まり、
姫路城に築城以来、戦でも使われることが
なかった不戦の城にとって、
最大の危機が起こります。

実際に使用しない不要な櫓(やぐら)や門などが、
次々と取り壊されいき、
そして大天守も取り壊されかけましたが、
そんな時に救いの手が差し述べられました。
 
当時の陸軍省第四局長代理の
中村重遠(なかむらしげとう)大佐が、
姫路城のすばらしさを後の世に残すべきだと立ち上がり、
陸軍卿(りくぐんきょう)当時の陸軍大臣に、
陸軍省の費用で姫路城を永久保存するために
修理をするべきだと意見書を出したおかげで
1878年(明治12)に
姫路城の存続保存が決定しました。

明治時代末期の1910年(明治43年)に、
姫路城は「明治の大修理」として、
大天守と小天守、東小天守、西小天守、乾小天守などが
第一期工事で修理されました。

しかし、大天守は長年の地盤沈下によって
傾いていましたが、傾きを根本的に
修理するほどの費用が足りませんでしたので、
何とか傾きの進行を食い止める程度しか
できませんでした。

その当時の工事入札額は
5万6900円で落札されたそうです。

世界文化遺産である姫路城で昭和時代から現代までは?


1935年(昭和10年)2月から太平洋戦争をはさんで
1964年(昭和39年)まで行われた
「昭和の大修理」において、
天守は第二期修理工事が行われました。
 
昭和の時代において、
姫路城修理は、
第二次世界大戦によって一旦中止されます。

この戦争において、またもや姫路城は危機にあいます。

それは、終戦が近くなり日本本土が空襲にあう中、
姫路市も例外なく2度の空襲にあっています。

幸いにも、姫路城の内郭まで被害が
およぶことはなかったみたいで姫路城自体の
損傷はほとんどなかったようです。
(実際には不発弾が当たったとも言われています。)
そして、戦争は終わり姫路城は危機から脱しました。

姫路城の修復工事は、
1956年(昭和31年)より
天守大修理に着手し、天守全体に
巨大な素屋根を掛けて、
解体・修復工事が行われました。

このときの素屋根には姫路城より
先に解体修理を行った松本城で使われていた
素屋根の丸太を再利用されました。

また、天守を解体した時に支えていた
東西の「心柱」のうち、
西の心柱が芯から腐って再利用不能と
判断されたため、新しいものに交換されています。
(以前の心柱は「旧西大柱」として
城内に展示されています。)

天守の傾きについては、
昭和32年から機械などが導入されましたが、
じつに約8年の歳月がかかりやっと
右の方向に44センチほど
傾きのあることが確認されました。

その傾きを、昭和の大修理では地盤を岩盤まで
掘り下げてコンクリートで固めてた事によって、
天守の傾きは解消され現在は全く傾いていません。
 
なお、昭和の大修理における天守の工事費は
約5億3,000万円でした。

戦前修理分の費用を物価換算した上で
戦後の費用と合算しますと
約10億円(1964年当時の価格)
に相当すると考えられています。

そして、平成の時代になり再び
「平成の大修理」が行われました。
(冒頭にて説明しました
とおり修理が行われました。)

まとめ

いかがでしたでしょうか。

姫路城の歴史を振り返ってみて、
お城としても波乱に満ちた道を
歩んできていますし、この平和な世が
続く限り、日本の宝として、
姫路市のシンボルとして
姫路城は保存され続けていくことでしょう。

現在において、姫路城は世界文化遺産の一つであり、
また国宝であるとともに、姫路市のシンボルとして、
とても美しく壮大なお城として今も建っています。

最後までご覧いただきありがとうございました。
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