春分の日に昔は何の行事があり、そしてお墓参りやぼたもちを食べる理由は?

3月の21日前後に毎年のようにある春分の日、祝日として法律で決められています。

この春分の日に昔は何かの行事などがあったのでしょうか?

よくわからない祝日な感じもしますので、昔にあった行事などを元に述べていきます。

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昔は春分の日に何の行事があったのか?


江戸時代ぐらいでは、日本は、大名が主権で政治などが行われていました。そして明治時代に入り、大日本帝国憲法が制定されて天皇主権に変わりました。

天皇となりますと、皇族にあたりますが、明治11年(1878年)春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい:春分日)として宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)の一つの大祭の日になり、国民の祭日になりました。

太平洋戦争後に敗戦国である日本は、連合国軍のGHQによって、新たに日本国憲法を制定させて国民主権の憲法に変わりました。

国民主権になって、昭和22年(1947年)に皇室祭祀霊(こうしつさいしれい)が廃止されて、昭和23年(1948年)に国民の祝日に関する法令によって「春分の日」と改名されて国民の祝日として今に至っています。

現在においても、皇室では、宮中祭祀として大祭が行われています。

この宮中祭祀では、何が行われているのかと言いますと、歴代の天皇や主な皇族の忌日(きにち:故人が亡くなった日)を春と秋にまとめて神仏やご先祖さまをまつる行事がおこなれています。

昔は、庶民においても、春分の日に近い戌の日(いぬのひ)には、その土地の守護神を祀る(まつる)行事で氏神様に参拝する日としてされていたようです。

春分の日にお墓参りをする理由は?


昔は、庶民の間で人が亡くなると魂は、山にいき「山の神」と考えられていました。

春分の日ぐらいになりますと、農作業をおこなう時期になり、亡くなったご先祖さま(山の神)が里におりてきて、田畑などを災害から守って、秋になり無事に収穫されたのと見届けた後に再び山に戻ると思われていました。

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そうしたことから、春分の日ぐらいにご先祖さまのお墓に参って「今年も田畑などが災害に見舞われずに無事で過ごせますように」とご先祖さまに祈願をするようになったと考えられます。

また、地方によっては、ご祖先さまに感謝をする日としてお祭などがおこなわれる風習がそのまま現在まで残ったと言われています。

春分の日に、なぜぼたもちを食べるのか?


ぼたもちを漢字で表しますと「牡丹餅」と書きます。

ぼたもちは、春に咲く花でぼたん(牡丹)からきています。

ちなみに、ぼたもちは、こしあんを使ったものがぼたもちと言われているようですが、現在においては、つぶあんが入っていてもぼたもちとして販売されていますので、あまり深く思わないようにしてくださいね。

昔は、砂糖といいますとすごく貴重なものでなかなか手に入らない調味料でした。

江戸時代の後半ぐらいから、庶民にも黒砂糖が手にはいるようになってきます。

しかし、黒砂糖でも貴重な調味料でしたので、普段の生活ではほとんど使用されていなかったようです。

昔は、お餅も大事な行事でしか食べることができない食べ物でしたので、普段の生活では口にすることができませんでした。

ぼたもちで使用される小豆(あずき)の赤色は、邪気を払ったり魔除けの効果があるとされてご先祖様にお供え物として使用していました。

そこで、貴重な黒砂糖が庶民の手に入りだしたころから、あずきと黒砂糖で調理して、行事などで使うお餅に包んでご先祖様にお供え物として祈願されるようになりました。

それが、現在にも残っていて、春分の日には、ぼたもちを食べるようになったと言われています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

春分の日は、明治時代には、違う呼び名での国民の祭日として制定されていましたが、現在においては、国民主権になりGHQが何らかの意図(いと)があって呼び名が変更されたとも言われています。

いろんな意味合いがある春分の日ですが、お墓参りに行ってぼたもちを食べるのもよい習慣だと思いますので、ご先祖さまに感謝とぼたもちをしっかりと食べて過ごしてくださいね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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